紀元節祭は、境内「長霊(ながたま)神社」において、多くの方々のご参列をいただき執り行われました。

多くの方々にご参列いただきました
修 祓
祝詞奏上
玉串拝礼
玉串拝礼
宮司あいさつ
建国記念の日について
お話しさせていただきました。
遠藤長泉町長から
ご挨拶頂きました。
「建国記念の歌」

♪雲にそびえる高千穂の
高嶺おろしに草も木も
なびきふしけん大御代を
仰ぐ今日こそたのしけれ♪
神酒拝戴


紀元節とは?

 紀元節(きげんせつ)は、かつての祝祭日の中の四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つです。日本書紀には、紀元前660年1月1日に神武天皇が橿原に宮を建てたとの記述があることから、明治政府がこの日を日本の建国を祝う日と定め、日本の紀元の始まる日であるとして紀元節と名付けました。
 明治5年11月15日(1872年12月15日)の太政官布告で1月1日を紀元節とすると定め、1873年1月1日をもってグレゴリオ暦に改暦されたので、その年の旧暦1月1日に当たる1月29日に紀元節の行事を行ました。しかし、これにより、旧暦の正月こそが正しい正月だという解釈が広く行われるようになってしまいました。この国民の反応を見て、これでは国民が新暦を使わなくなると危機感を持った政府は、神武天皇即位の日を新暦(グレゴリオ暦・陽暦)に換算して、紀元節を新暦の特定の日付に固定しようと考えました。水戸家の『大日本史』編集員であった藤田一正が、推古天皇以前の時代の日付について元嘉暦がずっと過去にも行われていたと仮定して逆算し、2月11日という日付を算出した。翌年からは2月11日に実施されることとなりました。この日には、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われました。1914年からは全国の神社で紀元節祭を行うこととなり、民間でもこの日を建国祭と称して祭典を行っていました。戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されましたが、1966年に建国記念の日として再制定されました。

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