駿河神社改築
正殿遷座祭



平成16年10月18日、 国立駿河療養所(ハンセン病療養施設)内にある
駿河神社改築、正殿遷座祭が執り行われました。
当社勝又宮司が、斎主を務めました。

駿河神社由緒・・・駿河神社創立記

 全国敬神婦人連合会並に静岡県敬神婦人連合会は、終戦後結成され神社興隆のため各種の事業を行って来ているが、又、社会事業の一として貞明皇后様の尊い御心の趣旨を体して救癩(きゅうらい)義援金を募集して患者慰問等の資として来ている。
 静岡県敬神婦人連合会では、御殿場市神山の国立駿河医療所を慰問して、ここには他宗教の施設はあるが、神社の施設が無く、患者等はこれを欲していることを知って、全国敬神婦人連合会とも相談の結果、昭和32年4月20日全国敬神婦人連合会は、神社を設立する事を議決するに至った。続いて静岡県敬神婦人連合会でも同様決議して、両団体が主催する事になった。其の資金については、静岡県敬神婦人連合会が主体となり、全国敬神婦人連合会、更に静岡県神社庁・同神社総代会が後援することになった。
 比の計画に対し、伊勢神宮からは、去る昭和28年第59回式年遷宮の際の攝社一宇(伊勢市宇治館町鎮座 大山祇神社々殿)を下賜せられる事となった。
皇族北白川家又明治神宮を始め全国有力神社、更に各地の神社庁、或は各地の敬神婦人会、特に本県神社関係者其の他有志の方々多数の賛同を得た。
 設計は、本神祇院造営課 中野順氏を委嘱し、社殿形式は神明型式を主体とする事とし、工事は神社建築に経験を持つ沼津市黒瀬町川口誠一氏に請負はせた。工事費等の総額は二百万円を要した。建設地は入所者が最も清浄な地として選定した構内東南端の最高地と決定した。
 9月12日、三嶋大社禰宜渡辺清次郎斎主となって地鎮祭を斎行。次いで、11月25日午後3時、神社庁参事白井光男斎主となり新殿祭を、同日午後5時、神社庁長三嶋大社宮司矢田部盛枝斎主となり鎮座祭を斎行した。
 次いで翌26日午前11時半から矢田部盛枝斎主となり鎮座奉祝祭を斎行した。
当日は、神宮大宮司坊城俊良民以下来賓敬神婦人会員入所者等約400名が参列、極めて盛大に行われた。工事は地鎮祭後着工したが、種々の都合で遅れ12月15日竣工した。
 社殿の規模は、下の通りである。
   本殿 0.697坪   祝詞殿 1.167坪   中殿 4坪   拝殿 12坪
   計 17.864坪
本殿は、伊勢神宮から拝受したもので完全なる神宮攝社が地方に原型のまま建てられたものは全国に類のない事である。神社名を駿河神社とした事は、比の地が駿河の國であり、比の國立療養所の名に因んだものである。

 御祭神は天照皇大神・浅間大神・少彦名神の三柱を奉斎した。


 茲に駿河神社竣工に当り其の由来を識す

   昭和33年12月20日(比の日参拝した)
                         
静岡県神社庁長
                           三嶋大社宮司
                              矢田部 盛枝