願掛八幡宮 由緒
祭神
譽田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇) 
由緒
  創建年代はさだかではないが、長泉条里の起点にあるところから、このころの成立ではなかろうか。ちなみにこの条理を建設管理したと思われる伊豆の国造家や、官人を葬る土狩五百塚が近くに多数見受けられる。
  この神は潅漑や開拓をつかさどり、現代にまで連なる農耕技術の生みの親でもある。 
建武元年、足利尊氏は土狩郷の内、田、三町、畑、一町を三鳴大社に寄進しており、この地が古代かち神饌を供していたことがわかる。
  明治八年二月十八日、国の制度として村社に、昭和十年十月一日、長泉村の幣帛供進社になり、下土狩の産土神として近郷近在の尊崇が厚い。
例祭
  十月一日であったが、昭和中期に九月二十三日(彼岸中日)となった。県東部の素人力士が集まり、熱戦を展開した。
近年は、下土狩各区代表九十六人の子供たちによる奉納相撲が行われている。
信仰
 町の近代化にともない、源氏の氏神でもあるところから心願成就のため願を掛ける者多く、平成二年願掛八幡宮と称されるようになった
氏子区域
下土狩区内十五区(祭典当番順)
  鮎壷、駅上、駅中、駅下、新屋町上、新屋町中、新屋町下、西、原、東、三軒家、薄原上、薄原下、原分、杉原
玉垣造営の記念碑