割狐塚稲荷神社 由緒 |
由緒沿革 |
当社は古くからこの下土狩に鎮座しております。一説には寛永元年(一六二四)の勧請ともいわれています。 |
江戸時代には、幕府より除地二石余を給せられ、明治八年には村社に列せられました。 |
御祭神を、宇賀御魂神と申し上げ、伊勢の皇大神宮外宮の御祭神と同様で、五穀豊穣・殖産の神であり、福富円満・商売繁盛・家内安全・社運隆昌の御神徳を有しております。古くは境内にて、血を見なければ治まらないといわれた競馬が行われたこともあり、近郷近在より善男善女による家内安全・商売繁盛の御祈願多く崇敬者の範囲は下土狩にとどまりません。今は毎年百人以上の稚児がでて、総勢五百人にものぼる神輿渡御が行われています。 |
御神域には割狐岩があり、その奥に御本殿が鎮まっております。この割狐岩には、むかし老狐が住みつき夜ともなると出没したとも言伝えられております。また老狐が飛び出したためであるとの言伝えもあります。一万年前の富士山噴火による溶岩流の、貴重な資料となっております。この溶岩割れ目の参道には、篤志家の奉納による朱鳥居が八〇基以上並び偉容を誇っています。 |
相殿 大田命 (おおたのみこと) 一名猿田彦命(さるたひこのみこと) |
大宮女神(おおみやのめのかみ) 一名天鈿女命(あまのうずめのみこと) |
主祭神 宇賀御魂神 |
別名豊宇気毘売神とも申し上げ、伊勢の皇大神宮外宮のご祭神と同一でもあります。保食神、御食津神、大宜津比売神とも申し上げます。 |
ウガは、ウケ、ケと同じく「食」の意味で、食物の魂の神さまということになります。 |
天照大神は、この神より五穀(米、アワ、ヒエ、麦、豆)の種子を受け、これを陸田(畑、アワ・ヒエ・麦・豆)、水田(米)に植えさせました。秋、収穫の後食すると非常な美果であったので、その霊徳を大変喜び、天孫降臨のときに、この神の御霊をも授けられました。このことによって皇室及び伊勢神宮外宮にも祀られるようになったのです。 |
イナリいわれるわけは、この神の「腹中に稲生れり」という言葉から、稲生・稲荷となったといわれます。 |
稲荷の語源については、次のような伝説があります。 |
昔、弘法大師が、京都の東寺の旁を通ると、一人の稲を背負った老人に出会いました。大師はその翁から種々の尊い教えを受けましたので、これは神が仮に老人の姿をして教えてくれたのだと、敬いあがめてその姿を神に祀り、東寺の鎮守、稲荷大明神としたとのことであります。 |
しかしこのことは、弘法大師空海が東寺を給わり、密教道場とした西暦八二三年以後の事と推察されます。伏見稲荷大社の社記によれば、この創建は和銅四年(七一一)であるところから仏教側の、神仏習合の布教対策であったことが想像される。 |
また稲荷神を狐とする俗信がありますが、これは御食津神を三狐神、大宜津比売を大狐姫と書いたこともあり、典籍のよくわからないものが誤断したためではないでしょうか。(故意に行った可能性もある。) |
寺の中には、後世稲荷神をG枳尼天であるとして、トルに祀り、災いを除き福を授ける神として宣伝したところもあります。このG枳尼天は白晨狐王菩薩ともいわれ、九尾の狐に乗った姿がよく描かれ、本体は霊狐でもあると伝えられております。 |
一方農民は、身近にいる狐の神秘的なしぐさを霊獣とみなし、田の神の使いとも信じていたので、いつしか稲荷神と狐とを結びつけての信仰が広がりました。 |
正一位と称されますが、稲荷神社の祭神の神階を示すもので、淳和天皇の天長四年(八二七)従五位下を授けられ、以後累進して朱雀天皇の天慶五年(九四二)正一位を授けられたためであります。 |
相殿 大田命 |
猿田彦神の別名とも裔孫ともいわれます。ちなみに伏見稲荷大社では猿田彦神として祀っております。 |
天照大神の詔により、天孫瓊瓊杵命が葦原中国に降る途中、この神があらわれ道を塞ぎました。その状顔つきは魁偉にして、鼻の長さ七寸(二一p)、背の高さ七尺(二一〇p)余り、また口尻赤く光り、眼は輝く鏡の如くであったといいます。天鈿女神にさとされ筑紫の日向の高千穂の峰に導き奉り、のちに天鈿女神とともに、伊勢の五十鈴川上に鎮まりました。 |
垂仁天皇のとき、倭姫命が、天照大神を奉じて鎮座の地を求め伊勢に到り給うたとき、五十鈴川上が最も適した土地であることをお教えしました。こうして現在の伊勢の神宮ができたのです。 |
相殿 大宮女神 |
天照大神の大前を斎く神。神人の間や君臣の間をとりもち、和平をはかり給う神。天鈿女命の別名ともいわれます |
この神は、天照大神が素戔鳴尊の乱暴により天岩戸にお隠れになったとき、その前で舞い踊り、引き出し奉るきっかけを作られました。また猿田彦神との出会いは前項の通りであります。 |
当社御祭神は、このように天照大神と非常に縁り深い神々であり、その御神徳は、宇迦之御魂神の食物を司ることによっての、五穀豊穣、産業発展、家運隆昌、商売繁盛があり、大田命の街の神としての交通安全、外から入り込む邪神を防ぎ福を招く御神徳、さらに大宮女神の芸能を司り、神と人との間を取り持つという大きなお力をお持ちです。 |
境 内 | 二〇〇〇坪 | |
社殿等 | 本 殿 | 十二坪(含上屋) |
舞 殿 | 二五坪 | |
社務所 | 五二坪 | |
鳥 居 | 八七基 |